克の克日記(最終回) 2008.10.30

俺はそこにいた。
”いた”という言葉は適当ではない。
肉体はないのだ。
俺の意識がそこにあった。
”あった”というのも適切な表現ではないかもしれない。
ともかく、俺の意識はそこに寄りかかって存在していたのだ。

そこには全てのものが見出せる代わりに、具体的なものは何ひとつなかった。
具体物だけではない。
上下左右のような当たり前の空間的概念、また色や音といった当然感じる知覚的概念。
そういった具体的なものも何ひとつ認識できないのだ。

そういう場所に俺はいた。

物がないことに対する空しさや寂しさ、不安等はついぞ感じることはなかった。
そこには何もなかったが、全てはそこから生み出すことができたからだ。

だからあえて何か具体的なものを生み出してみる必要はない。
逆に何か具体的な物を生み出してしまうと、たった1つの無視できるほどの小さな小さな物に
わずかでも目を奪われ、無限の存在が失われる恐怖を味わうことになるかもしれなかった。

なにしろそこには俺の肉体すらないのだから、具体物の存在自体にさほど価値を見出せなかったのかもしれない。

そういう理由もあって、俺の興味が具体物に向けられることはほとんどなかった。
それよりもむしろ、具体物を生み出す過程や、具体物の成り立ちといったものから
具体物の成す概念、概念同士の関係、概念の生み出でる仕組み、
果てはそれらをも対象にした体系等に興味を持ち始めた。

『汎化』は楽しかった。
具体物から始まる汎化の道を辿る旅は、その世界を旅することであり
いつかその世界の唯一にたどり着くかもしれないと思われた。

全てが順風満帆には行くわけではなかったが、少しずつ慎重に、ときには大胆に進み、
ときに引き返しつつ、俺は旅を続けていた。

そうして出来上がったのがこのグラタンです。