克のまどろみ日記(最終回) 2003.10.25

たとえば22年間も生きていれば、漢字の凸の字を考えた人が我が家を訪ねてきてもおかしくはないのである。
この世界では全く予測できないことが起こる。

かつて人々を恐怖に陥れた『ラプラスの悪魔』というのがある。
宇宙誕生の瞬間の全粒子の初期位置と初速度がわかれば、その後に起こる全ての状態は計算によって求められる。という話である。
しかしこれは、現在では計算が複雑すぎて不可能であることが知られている。

そう、この世界では全く予測できないことが起こる。

俺はさらに想像を膨らませる。
漢字の凸の字を考えた人とはいったいどのような人なのであろうか。
意外と若い女性であるかもしれない。
では彼女は、玄関の扉を開けた俺に対して、どのような行動に出るのだろうか。
なにしろ凸という字を考えるほどの人物なのだ。
底抜けに明るく、ニコニコとこう挨拶するかもしれない。

「こんにちはぁ〜!わたし、漢字の凸っていう字を考えた者なんですけどぉ〜」

朗らかに、無邪気に微笑む彼女に俺は何と答えたものか。

「へぇー!そうなんですか、すごいですね!」

と言えば、彼女はますます機嫌を良くし、明るい彼女のご機嫌な話が延々と続くことだろう。
俺が一言

「そうでしたか」

と冷たく言い放っても、なにしろ凸を考えてしまうほどの人物なのだ。

「そうなんですよぉ〜」

彼女は一向に堪えず、ご機嫌に話を続けるかもしれない。
ドアを無理に開け放し、体をすべりこませ、俺にドアを閉めさせないつもりかもしれない。
それでは俺は少しばかり迷惑なのだ。

では彼女の訪問に備えてドアにチェーンをかけておくのはどうか。
元気よく開けられたドアは、彼女の意思に反してギリギリ会話が可能なほどのスペースを用意して止まる。
少しかわいそうな気はするが、彼女の出鼻をくじくには充分な効果があるだろう。



だが思い出してほしい。
この世界では予測しえないことが多々起こるのだ。
もしかしたら、俺のもとを訪れるのは凹の字を考えた若い女性であるかもしれない。

なにしろ凹の字を考えるほどの人なのだ。
おそるおそる開けたドアにチェーンがかかっているのがわかったら、さぞかし悲しい顔をするであろう。
それでは俺の心も痛む。
いくらなんでもやりすぎだ。
彼女のためにもチェーンは外しておいたほうがよいだろう。
スムーズに開けられたドアの向こうで、彼女はおずおずとこう言うのである。

「あのぅ・・・。わたし、漢字の凹を考えた者なんですけど・・・。」

ここで俺は新たな問題と対峙することになる。
もうしわけなさそうに俺のもとを訪れた彼女に、俺は何と答えればよいのであろうか。
冷たく一言

「そうでしたか」

と言えば、彼女は

「はい・・・」

とだけ答え、そのまま何も言い出せなくなるに違いない。
泣き出すことだって充分に考えられる。
なにしろあの凹の字を考えるほどの人物なのだ。

無言で泣きじゃくる彼女と沈黙を共有した俺は、どうすればよいのだろうか。















ここまで考えたところで、俺は再び眠りについた。
午前4時頃にふと目が醒めていたのである。

全く、この世界には予測できないことが起こる。